Galleria Vittorio Emanuele II ヴィットーリオ・エマヌエーレⅡのガッレリア
街のシンボルであるドゥオーモに並び、ミラノを象徴する建築物ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世のガッレリア。

「"Galleria" ガッレリア」は元々、イタリア語で「回廊(建物や庭を囲むように長く折れ曲がった屋根付きの廊下)」を指す言葉でした。そのうち、その回廊で美術品などを展示するようになったことから「美術館・画廊」、さらに転じて「様々な店舗が並んだ屋根のある商店街」という意味を持つようになったのです。
ミラノのガッレリアはまさにその"商店街"。ガラス張りの天井に覆われ、ブランド店やレストランなどいろいろなお店が立ち並ぶ、大きなショッピングアーケードです。世界の中でも古く名高い場所で、東京ディズニーランド・ワールドバザールのモデルになっているとも言われています。

そんなガッレリアは、ミラノがオーストリア軍の支配から解放された1859年、新たな街の顔、街の役割を定義するために始めた都市再生プロジェクトの中で生まれました。ドゥオーモとスカラ座をつなぐ新しい道の開発を提案したミラノ市は、市民や建築家にアイデアを募集。約3年に渡り3度の選考を行った結果、イタリア人建築家ジュセッペ・メンゴーニのデザインが採用されました。
1865年には、このガッレリアの名前にもなっているイタリア王国初代国王ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世によって礎石(建物の基礎となる最初の石)が置かれ、2年半後の1867年9月15日にアーケードが完成し、お披露目されたそうです。
この頃はまだドゥオーモ広場に面している大きなアーチは建設されておらず、すべてが出来上がり現在の形になったのは1877年12月30日。しかし、完成セレモニーを翌日に控えたこの日、ジュゼッペ・メンゴーニはガッレリアの足場から転落し、亡くなっています。彼の死については未だ謎のままで、事件か、事故か、はたまた「"La mia missione è compiuta, l’arco è finito." 私の使命は完了した、アーチは完成した」という言葉を残していることからも自殺と考えられる、という説まであります。

オープンから「"Il Salotto di Milano" ミラノのサロン」と呼ばれ、昔はブルジョワ階級の人々が集まる場所だったこのガッレリア。今でも、アーケードの中は、PRADAの本店や、Louis Vuitton、Gucciといった高級ファッションブランドを中心に、老舗のバールやレストラン、書店などが並んでいます。各店舗の看板は"黒地に金文字"で統一され、高級感のある洗練された雰囲気を感じさせます。

また近年では、ガッレリア内で様々なイベントを開催。ミラノ市民や観光客が気軽に足を運ぶ場として親しまれています。さらにクリスマスシーズンには華やかなイルミネーションで彩られ、ガッレリア全体が一層きらびやかになるのも魅力的な一面です。

2本の巨大なアーケードが交差するガッレリア。その中央は、八角形のガラスドーム(クーポラ)で覆われています。 直径39メートル、高さ47メートルのこのクーポラは、真下から見上げるとその大きさをより感じることができます。
そして、クーポラから少し視線を落とすと四つ角にフレスコ画が描かれており、それぞれヨーロッパ・アフリカ・アジア・アメリカの4大陸が表現されています。

さらに足元には、床の中央にイタリア王国の大きな紋章、それを囲むようにミラノ、ローマ、フィレンツェ、トリノの街を表す紋章がモザイクタイルで描かれています。
ちなみに、トリノの紋章のモザイク画には有名な伝説が言い伝えられています。紋章に描かれている"トリノのシンボル"雄牛の睾丸に右足のかかとを乗せ、目をつぶり、3回転すると幸運が訪れるというもの。そのため、トリノのモザイク画の周りには、いつも世界中から観光客が集まってきます。日々、人々が回転するためそこには大きなくぼみができ、定期的に修復作業が行われています。(最近では、2017年秋頃に修復されました)
しかし本来は、12月31日24時に回った人だけが新年の幸運を得られるという伝説だったそう。いつの間にか、"回る"ということだけが伝わり、現在のようになっているのは面白い話です。

2017年9月15日、オープンから150周年を迎えたガッレリア。何度訪れても、その優美さに目を奪われ、足を止めてじっくり眺めてしまう。そんな美しくエレガントな歴史ある"ミラノのサロン"に、ぜひ足を運んでみてください。
Galleria Vittorio Emanuele II ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世のガッレリア
住所:Piazza del Duomo , 20123 , Milano アクセス:Duomo ドゥオーモ駅 (地下鉄赤線・黄線)
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