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Storia di Milano ミラノの歴史


現代的なイメージのあるミラノですが、街の歴史は古く、紀元前600年、ケルト人(ヨーロッパ中西部の民族)が住んでいた頃に始まります。メディオラヌム(“Mediolanum” 平原の真中)と呼ばれていたこの地域は、その後、ローマ帝国の元で繁栄し、西ローマ帝国の首都となった時代もありました。

他民族からの侵略や破壊を受けながらも復興し続けましたが、1162年、フリードリヒ1世の軍にミラノを破壊されてしまいます。支配に苦しむ北イタリアの主要都市は、1168年、ロンバルディア同盟を結成。1176年、レニャーノの戦いで、フリードリヒ1世の軍を破り、新しい繁栄の時代を迎えました。

中世の時代からルネッサンス期にかけて、ヴィスコンティ家とスフォルツァ家という2大貴族によって支配されるミラノ公国となります。1447年までヴィスコンティ家により、ミラノの街はより一層の発展を遂げていきました。1535年からはスフォルツァ家が統治。有名な観光名所でもあるスフォルツェスコ城は、この時代にフランチェスコ・スフォルツァによって建築されたものです。また、息子のルドビコ・スフォルツァはレオナルド・ダ・ヴィンチなど著名な芸術家をミラノに迎え、学芸、美術、文学への投資を盛んに行いました。

しかし繁栄の最中、街はスペイン(1535〜1713年)、次いでオーストリア(1714〜1796年)の統治下に置かれることとなります。1797年、ナポレオンによりフランス支配下のチサルピーナ共和国の首都となり、イタリア共和国、イタリア王国と発展していきましたが、1815年ナポレオンの失脚後、ロンバルド=ヴェネト王国として、再びオーストリアの手に戻りました。

1848年、オーストリアの支配に耐えかねた市民が反乱(“Cinque giornate di Milano” ミラノの5日間と呼ばれる有名な蜂起)を起こし、一時的にオーストリア軍を追放しました。またすぐに陥落させられてしまいましたが、1859年、第二次イタリア独立戦争の後、フランスの援助を受けたサルデーニャ王国がミラノをオーストリアから奪取、1861年にミラノはイタリア王国の一部となりました。

第二次世界大戦中は、連合軍の爆撃により深刻な被害を受けたミラノですが、戦後は急速な復興を遂げています。​

様々な歴史を越えて、ミラノは現代的な都市として発展し続け、今ではイタリア経済の中心地となりました。ファッションやデザイン、美術、音楽など芸術面でも世界を牽引するヨーロッパ有数の世界都市です。

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